ゲームセンター中毒になる素質?十分のAくんのことを心配して、お母さんは余計な時間は峠工房へと決めているようだ。
ゲーセンは週一回限りとの約束を守らせるためにも。
今日も送ってきた。

事情がわかっているから、彼1人だけということもありじっくり話をした。
部活(卓球部)のおかげか、お母さんの覚悟を決めた厳しさのおかげか、このところ彼はだいぶまともなのだが、どうしても自制心の抜け落ちてるところが育ちにくい。
自分も含めて誰でもそういうところはあると思うのだが、彼の自制心のぶっとび具合はかなりなもので、せっかくの長所を自身で踏みつけること多々。
それで小学校の時から私たちも苦労している。
この世は誘惑に満ちていて、その一番の強者がゲーム。
ここをコントロールするのはかなり難しい。
知能と精神(生活年齢)のアンバランスもあって…だからといって3〜4歳に戻ってなんとかすることはできない、

でも今日、彼の精神面の成長をはっきり知る出来事があった。
常々私たちが
「似てるねー、やることが」
と評しているRくんの発想。
最近のちびリュック欲しければあげるよにたいしもらってもいいよのことの話をした時、あー…と頭を抱えて
「前のオレみたい〜!やばいよね、それ」
と、照れ笑いした。
ここがAくんの成長の証だ。
自分の過去をやばかったと認識できるようになったのだ。
人間って成長するもんなのですよ。

⭐️今日の一冊
最近忘れてた本の紹介💦
ノラネコ軍団シリーズ大好きです。
お話もクスッと笑えてしまうのですが、このふてぶてしい顔が好きです。
きのう、学校行事等で休みが多くて、珍しく同級生2人。
Kくんが5時に帰った時、Lくんははっきりと
「Lも帰りたい」
と言葉にした。

中学生で遅く来ているFくんを除けば、小学生で一番遅いのはLくん。
今まで、みんなが次々帰ると、寂しくて悲痛な顔で見送っていたが、黙っておもちゃ箱に入り寝てしまったりだった。
はじめて、しかもはっきりと言葉にしたので
「Lくんも5時で帰りたいの?みんなと一緒に?」
と問うと
「うん、帰りたい」
ときっぱり。

それで、ママとの約束で6時までってなってるので、今日急に5時にはできないから、今日は我慢してね。
おうちに帰ったら自分でLも5時に帰りたいと頼んでみてね。
先生も連絡帳にそのこと書いて頼んでみるから。
と話し、彼はうんうんと聞いていた。

そして今日、晴れて(オーバーかな?)5時に帰りたい時は先生にでんわ連絡してもらって5時でもいいよということになった。

Jちゃんと一緒の車で、近い方のLくんを先に送り、Jちゃん宅へ廻るコースで嬉しそうに帰っていった。

言葉が出にくいはずのLくんだが、ともだち関係というものは本当に素晴らしい。
わざと放ったらかしにして遊んでいるのを聞いているとけっこう言葉でやり合っているし、自分の要求も通している。
大声で歌を歌ったり、私たちにもいろいろなことを言ってくる。
わかるように注意深く話せばきちんと理解できる。
もちろん「目から手が出るタイプ」「自分だけのリズムで行動が徐々に速くなる」など、特徴はあるけれど、言葉の獲得が進めば、改善できることで心配してない。
だが、別の心配もある。
「めちゃくちゃうるさくなるんじゃないか!?怖いねー」
Fくんから初めて幼稚園時代の思い出話を聞いた。
今まで彼には幼い頃の記憶なんてないのかと感じていた。
小学校3年生の3学期から通い出して今まで、彼の思い出話など聞いたことがない。
それどころか現在も…(過去から続く)…曖昧だった。
時間の概念がなく、1日も1週間も1ヶ月も1年も、意識しないまま何不自由なく暮らして居た。
それを可能にしてくれたのはお母さんと(多分)おばあちゃん。

周囲が困っても彼本人は全く困らなかった。
このままではいけないんじゃないかと何となく気がついたお母さんが峠に連絡をくれてお付き合いが始まった。
気がついてくれてよかったなーーーと心から思う。

中学生になってから個別支援級となり随分と変わってきた。
彼は来る時は学校と家庭の連絡ノートも持ってきて見せてくれるので様子がわかって助かる。
丁寧な教育、支援をしてくれているのがわかって、本当にあー、良かったと思う。

おかげで、脳みその眠らされて居た部分が少しずつ開拓されてきたのを実感しているが、幼稚園の頃のことなんて初耳。
それもかなり細かくて、運動会ではあれが面白かったとかお遊戯会は嫌だったとか…。
一番楽しかったのはお餅つきでつきたてのおもちがおいしかった。
ぼくはあんこのお餅が大好きで先生にもっと食べたいと言ったらもうないよって言われた。
こんな話、彼から聞けるとは予想してなかったので面白かった。

中学生になってから、峠でもできる限り会話を増やしていて、随分話すのが上達したな…自分の感情もチラッと喋ることもあるし、と成長がわかって嬉しい。

それなのにヤツは学校ではかなりわがままを通してるようだ。
2時間続きの体育なんてやってられるかー!!!と体育館の隅で寝転がって居たと先生からの連絡帳に書いてあった。
昨日、K君、L君を、第一教室の野良びわ収穫と交通安全指導を兼ねて、第二教室から歩いて、2人にとっては初めてとなる第一教室訪問した。
水筒とタオルと、「獲ったゾー」のビワを入れるため、以前たくさんもらった横浜博の売れ残りちびリュックにそれぞれの名前を書いて渡し持たせた。
Rくんは下校時刻が遅いので、仲間にはいれなかったが、一応彼の分も用意した。


今日、おやつの時、R君にその話をして
「R君は金曜に来た時にびわをとったけど、このリュックまだ用意してなかったから、みんなと同じに名前書いて用意したけど、欲しいんならあげるよ」
私としては、たいしたシロモノじゃないけど、自分ひとりがもらえなくて、仲間はずれ気分になったらかわいそうかなと思って、
「ほら、Jちゃんの分もあるよ」
と、やはり当日いなかったJちゃんの分も見せながら話した。
彼は、ちょっとだまっていたが
「もらってもいいよー」
つぶやくように。
『親切で優しい』私、園長は、
「あっまた話が通じなかったかな?」
と、もう一度同じことを、さらにていねいに話して、R君が欲しかったら用意してあるからあげるよと説明。
「もらっておくかなー」
これが彼の返事。
「別にもらってくれなくていいよ。欲しかったらあげるけどどうする?って聞いたんだよ。R君に、ぜひもらってくださいなんて言ってないよ。欲しいなら欲しい、いらないならいらないって言えばいいでしょ!自分がどうしたいかって聞いてるんだよ!」
久しぶりに子どもにまじで腹を立てた。
相手が大人だったら怒鳴りつけるところだ。
このしゃべり、なんとかしなきゃ!!

⭐️今日の一冊
峠工房には保護猫がいます。
地域猫の溜まり場でもあります。
そして時々猫を保護しようとしています…しようとしているのはいつも失敗しててなかなか保護できてないからです。
猫に裏をかかれてほぞを噛む姿は子どもたちも見ています。
猫のわがままに振り回されているのも子どもたちは見ています。
はっきり言って無様です。
でもそんな無様な姿を晒す事で子どもたちも生き物との関係や命の大切さを知っていきます。

土曜日、色々重なって珍しく誰も来ない日となったので、どうしようもなく散らかっているテーブル(仕事机)を片付けた。
といってもすくに「もとのもくあみ」状態になるのだけど。
そう、私は片付けられないおとななのです!

だから毎日帰りの時間が近づくと子ども達に
「かたづけて」
と声かけをして、みんなで15分くらいで、遊びまくったところをきれいに片付けると賞賛を惜しまない。

片付けられないだけでなく、記憶力も悪いので、新聞など読んで「ああ、この記事」と、重要さはわかっても、心配なので(覚えているか)切り抜いておく。
仕事に関係する情報や資料となるものはいくら私でも分けてファイルしているが、あとでどの程度読み返しているのかな、なんて自問自省。
でも、記憶力に全く自信がないからバッサリ捨てることもできずにいるものがたくさんあって、実は困っている。

そこで、思いがけず時間ができたからと、紙の山やノートの垣根に手をつけた。
短時間でどうなるものでもないけど。

あいだから小さな切り抜きがヒラリ、付箋までついてる。
読んで大笑い。
2018.8.27付。
付箋には「ひょっとして発達障害?」
群馬県で県の防災ヘリが訓練の際墜落して9人が亡くなった事故について市長が「防災をやるものが自爆してしまった。お粗末だ」と発言したそうな。
当然問題発言だから、市長は釈明に懸命になったわけだが、「自分では喋ったつもりはないが、無意識に言葉に出てしまったのかもしれない」と、意図的な発言では無かったと強調した、との記事。

これって市長職にある人が言うなんて…ネェ。
ひょっとして「何の気無しにいった」とか?
そういうオトナは確かにいるけど。

もし、うちに来ている生徒の誰かが、何かとんでもない叱られるようなことをやって、この市長さんのような言い訳したら
「そりゃあ大変だ!喋ったつもりがないのに人を傷つけるような言葉が出てしまうようじゃすごく重い病気かもしれない。明日病院に行こう!」
なんてネチネチといじめるかもしれない。
人が亡くなっているのに、その言い訳が、どんなに言っちゃダメなことか、自分の言ったことがどれほど人を傷つけるか、わかる人間になってもらいたいし、そう思って皆に接してるつもりだ。

この市長、その後何事もなくやれているのかな?
どうなったのだろう?
峠の生徒なら許されないけど、市長だったら、割にどうってことないのだろうか。

この切り抜きはくずかごに捨てました。
他所で起きたことだから、笑い話にしたけれど、身近でのことだったら…ネェ。
多分、私たちはほっとかないと思う。


「こんなニュースがあったよ」


https://www.google.co.jp/amp/s/www.yomiuri.co.jp/national/20210527-OYT1T50283/amp/


渡されたものを読んで呆れた。


私、紙のニュースは読んでいるが、電気の?ニュースは読まない。

その電気ニュースによれば、埼玉県で公立中学校の男性教諭が教え子のSNSに、性的画像や不適切なメッセージを、合わせて1000件以上も送ったということで、懲戒免職になったそうだ。


最近、教員のワイセツ事件が増えていて国会などでも問題視されているくらいだから珍しくない(では困るのだが)ので、そのことにはビックリしない。

こんなことに懸命にならないで仕事をしっかりやりなよ。

命削るように仕事している先生たちがたくさんいるのに、なんてヤツだとは思う。


呆れて言葉も出なかったのは、こいつが教育局の聞き取りに対して

「生徒(相手)を笑わせたいという気持ちだった」

と話したというところ。


数年前に峠工房であった事件を思い浮かべて

「これって、発達障害の中学生みたいじゃん。

生徒じゃなくて先生がって笑い話にもならないよ。」


もちろん被害を受けた女生徒さんは本当に気の毒で、迷惑かけたなどという軽いもんじゃない。

一生にかかわる心の傷だ。


峠工房であった事件というのは、今でも「なぐるける事件」と語り草なのだが、当時中学生だった男の子が、何をどう勘違いしたのか、エロ路線がみんなに受け入れられるキッカケになる、みんなエロが好きなのだと確信してしまった末に起きたことだった。


当然のことながら、峠工房でそんなことを話したり見たりしていれば、たしなめられたり叱られたりした。

しかし誰彼構わず話していたので、たしなめたり叱ったりせずやんわりとした注意をしてくれる人や聞き流してくれる人などを見つけ出し、そういう対応だけを信じ確信を強め、ますます勢いづいてしまい、道を歩いていようがバスの中だろうが、エスカレートしていった。

そしてある日、バスで女の子の友人に

「見て見て、これ

と見せたのはDSに取り込んだエロ画像。

頭よりもでっかいおっぱいのネエちゃんのマンガ。

分かる人には分かるだろうが、駅のゴミ箱なんかによく捨てられている「家へ持ち帰るとマズイ」本から取り込んだのだ。

それを「確信に満ちて」女の子に「バスの中で」見せたのだ。

喜ぶと思って。

ここが悲しい。


本の出どころは往来できる距離に住む親族だった。

おとななのだから、自分のお金で何をしようと(悪事でなければ)何を趣味にしようとかまわないが、思春期の少年が自由に行き来する家で、「テーブルの上」に積み重ねておくのはさすがに


私たちが困ったのは、原因が家庭に近いところにあったこと。

気がつけば都度対応していたが、「現物」の力は強い。

ましてやそれが峠工房から離れ、簡単に行き来できるところにあれば、峠工房で「言われたこと」など敵わない。

そうなると、教育支援機関がどうこうする問題ではなくなり、私たちがあれこれ言えない。

家庭での対応を考えてもらわねばならない。

どうしたらいい?


それで間近に迫っていたイベントの日を選んで、お母さんに開催前の午前中来てほしいと頼み、ことの一部始終を話し、イベントが終わった後残ってもらい、最初に女の子から相談を受けた職員も交え話し合いましょうと約束した。

お母さんのショックは大きく気の毒だったが、私たちも今何とかしなければ大変なことになるという危機感が強かった。


イベントも終盤に差し掛かったころ、

「園長!大変だ!早く来て!早く!!」

と血相変えて呼ばれた。

行ってみると、鬼の形相のお母さんが息子をどなりつけて、殴ったり蹴ったり息子は部屋の隅で頭を抱えてうずくまって泣いていた。

ああ、時間を待てなくて親がぶちぎれたのだとすぐ察したが、こんな場合でもすでに親の身長を越している男の子が手向かいもせずにいる姿にびっくりするやら安心するやら変な気がした。


私に怒鳴りつけられて、我にかえった母は、怒り疲れて床に座り込んだ。

男の子に椅子に座るよう促し色々聞いた。


「みんなこういうのが好きなんだと思ってた。」

「こういう話をすると友達を作れると思った。」

「見せた子が喜ぶと思った。」


なんともおそろしいけれど痛ましい。

これほどまでに彼の中で勝手にエスカレートし、本人のみの確信となっていたにも関わらず、同じ家に住む家族の誰も気づかない。

しかも外部の人間は手出しできないこと。

年頃になれば、そうした情報に触れる機会も増えるし、興味が向くこともある。

その都度、峠では話し、たしなめ、叱り、家庭に報告して連携を図ってきた。

その辺が外部教育機関としての限界だ。


色々、彼がわかるように話したが、友達だと思っていた人たちに見せたことがどれほどの裏切り行為か厳しく叱った。

大きなため息をついて、ポロポロと涙をこぼした彼の姿を親に見てもらいたかったが殴る蹴るで精力を使い果たしたのか、座り込んで頭を抱えたままだった。

もったいない。


その後、母親の凄まじい「怒りの情熱」がどのように結実していったかはわからない。

高校生になってからはほとんど峠とのつながりは切れて知りようもない。


だが、仮に彼の思い込みグセが是正されないまま大人になるということがあれば、今回の埼玉の先生のような事件はあり得るというか、あるよねであり、ひとつの例にとどまらないであろうことが恐ろしい。

すでにあちこちの職場から「困ったさん」の例が峠にもたくさん寄せられている。

「殴る蹴る事件」の彼の成長、是正を祈ってやまない。





このところ、特に連休明け以降、Rくんの急速な劣化が気になって危機感を抱いていた。
もちろん放課後等デイサービスは、踏み込んだことをする必要もないだろうし、安心安全、かつ楽しく過ごせればいいのだろうが、自主事業峠工房の部分が何か警戒音を発していて気になってしょうがない。

もしかしたら2年生になったということを彼独特のとらえかたをして上級生になったからエライ!自分がやる必要はないのだ!なんていう意識なのかなあ…気分だけ上級生!との推理も働いた。

自分から進んで動こうとする気がない。
態度、特に言葉遣いや会話などが落ち込んでいる。
返事が「うん」「ううん」多用で実際には人の話を聞いてない。
物事に対する興味、関心が極めて薄くなっていて、以前のように色々やりたがるところがなくなった。

少人数、時にはマンツーマン。
だからこそ気が付き、心配になることが増えていた。
今まで家庭で身につけさせてくれていたあたりまえのことも抜け落ちているのが目立つ。

保護者に言ったらきっと気落ちするだろうなと思うような行動もあったりして、伝えていいのか悪いのかと悩み、連絡帳にはオブラートに包んだような表現にしていた。

ところが今日、幸いなことにお母さんとじっくり話をするチャンスがあった。
急に明日休みの連絡があり、そのついでにかなり長い時間話ができた。

家庭でもRくんの変化に気がついていて、また、担任の先生も気づいてお話があったという。

ホッとした。
けっこう「むきだしの」話もできたし、今後家庭との連絡も密にして…この密ならコロナに関係ないもんね…。

一般に、というか、通常、かなり重い障害の場合を除いて「かもしれない」状況を指摘されると、まず勉強の遅れ、ついていけるかどうか気にする人は多い。
一番わかりやすい指標だし、学校の成績の良し悪しが重要だとの認識は日本の教育の伝統的な部分だから。
(勉強が)できる子、できない子で分けられる現実は重いけれど、でもこの国も少しずつ変化してきているし、やはり身近なおとなとして「どのように生きていってもらいたいか」の視点は、遠くを見つける気持ちでしっかり持っていたい。

今日は話ができてよかった。

✨今日の一冊
峠工房にダンスを教えにきてくれてる先生が妹のいる一年生の男の子が常に妹を気にかけていてすごくお兄ちゃんしてると感心してくれました。
「あの子、鬼滅の刃大好きなんです」
「ああ!そういうことか!じゃあ今、日本中で良い子たちが増えているってことなんですね!すごい!」
鬼滅の刃のすごいところは売上でもなく興行成績でもなく、家族や兄弟、友達、仲間を大事にする心を子どもたちに芽生えさせたとこだと思います。
新聞1面に写真入りで逃走蛇が捕まったニュース。
私としては「逃走」は、ヘビにとって可哀想だと感じる。
けれど、アパートの一室で「ペットとして」飼われていた3.5メートルのアミメニシキヘビがいなくなったのは、近所の人たちにとっては大事件。

大捜索のかいもなく、見つからなくて、我が家の爬虫類好きは
「オレを捜索隊に入れてくれればいいのに…」
とボヤき。
「きっと家の中にいるんだよ」
とも言っていた。
「天井裏で見つかった」
に対して、だから言っただろうと得意そう。

この人、なんでこんなにヘビ好きになったのか不思議である。
3歳の頃、歩いている前をゆらゆらとヘビが横切っていき、生垣の中に入っていくのを、目玉が落ちそうになる程見つめていて
「なにーあれー」
顔つきを見て、これはマズイときわめて平静なにこにこ顔と声で
「ああ、ヘビだよ」
と言ったのだが、両手両足でしがみついて
「きもちわるいー!!」
と叫んだ。
泣いた。
それ以来ずーっと何年間もアイツは臆病かつヘビが嫌いと思っていた。
小学校1年の頃、彼の同級生から
「昨日、松本君ヘビ振り回して遊んでたよ」
と聞くまでは。
それだってすぐに信じたわけじゃない。
まさか…だってあの子はヘビ怖いんだよとその子に言ったのだが嘘じゃなかった。
それ以来ずーっとヘビだけじゃなく、トカゲ、ガマガエル、カメなどなど今も続いている。

もちろん私は巳年生まれであってもヘビを好きでもないし親しみを感じてもいない。
でも子供が飼いたい、どうしても、一度でいいからと言えば
「いいよ」
と返事するしかないでしょ。
そんなもんだと思うのですがね〜。
オトナは別!

アミメニシキヘビさん、保護されてよかったね!

✨今日の一冊
読み聞かせ時の私の鉄板、ヨシタケシンスケさんの絵本です。
絵本を読み聞かせられることに慣れてない子でも可愛くて親しみやすいイラストとコミカルなストーリーに引き込まれます。
さ三浦半島の水族館「油壺マリンパーク」が9月で閉鎖されるそうだ。

マリンパークは大好きでよく行った。
時間に余裕がなくなり、子どもたちが成長し、峠としての行事などでも行かなくなってから10年以上過ぎたが、カワウソがきたというニュースかあってからずーっと行きたい、行かなきゃと思いつつ…であった。
カワウソ大好き。
まだOLやって学校通っていた頃、土曜日の午後新宿の伊勢丹へ行って、追分団子を食べながら、屋上に飼われていたカワウソを見ていた。
たまにえさのドジョウを買って、檻の外から筒状の餌やり口に入れてやったり。
かわいくて面白くて楽しかった。

だいぶ前のことだけど、戸沢山荘で仲間で宴会やった時(集まればいつでも呑んだくれていたが)、その日、新宿の伊勢丹に勤める若い女性が、山案内の人と来ていて、常連たちはうれしくてチヤホヤ。
新宿伊勢丹と聞いて、私は昔の屋上のカワウソのことを話した。
誰も本気にしない。
「そんなことありえない」
とか
「またまた松本さんヘンなこと言って」

わたしの信用がゼロのせいもあるが、みんな今現在の新宿のことしか知らないから無理もない。


ところで三浦のマリンパークは何がよくてたびたび行ったかというと、円筒状の本館の壁一面が水槽で、ぐるぐると魚たちが自由に泳いでいるところ。
マグロもカツオも、えいまでいっしょに泳ぎまわっているのを見ていてあきない。
タカアシガニを初めて見たのもここだった。
抱いていた次女が
「こわいー」
と泣いた。

海がすぐそばなのも良い。

小学5年生だったtaichi君が、どうしても不時着した零戦のジオラマを作りたくて、ホビー担当のsouくんから
「遠足でマリンパークに行くのなら、海の様子、砂地や草地の風景をよーく観察してこいよ!」
と言われて、ノート片手に
「海は…」
「土は…」
などと言いながら、字書くの嫌いなのにメモしていた。
そして、それをもとにジオラマを完成させて、なんとホビー雑誌に載ったのだ。
おとなの年齢に混じって「10歳」がなんと輝いていたことか。
雑誌社のコメントも優しかった。

本当にたくさんの思い出がある。
どうしても横浜駅でシウマイ弁当を買いたくて念願果たした子。
帰りに廻った海辺でお父さんにおみやげだと、弁当箱に砂をたくさん入れて持ち帰った子。
イワトビペンギンが面白くて、そこから動かなかった子。
禁止だよとなっていたのにDS持ってきて
「連れて行かない。家へ帰ってゲームやってろ!」
と怒られて泣いた子。


最後に行ったのは「メガマウスシャークを見に行こう」と題した遠足。
相模湾で取れた珍しい深海魚。
通称メガマウスシャーク。
本当のところ見たかったのはわたし含めての指導者たち。
もちろん剥製だけど…。
子どもたちはどちらかというとオオグソクムシの方が面白かったようだ。

9月の閉館までに行く時間が取れるだろうか。
カワウソに会いたい。

✨今日の一冊
絶滅危惧種のアムールトラの双子、タイガとココアは障害を持って生まれてきました。
そんな2匹にたくさんの愛情を注ぐ動物園の記録です。
結局、いわゆるゴールデンウイーク中にはどこへも出かけなかった。
29日は、できれば展覧会のはしごを目論んでいたのだが…。

しかし、4日と5日の2日間。
ずーっと気になっていた中庭の樹木の伐採を、指導員竹内が一家総出(と言っても3人)でやってくれた。
身内ながら、孫の4年生まで、全員でとてつもない働きぶりで、感謝感謝である。
1日目、私は孫にこき使われてへとへと。

それにしても、チームリーダーの腕前には驚いた。
話には聞いていたけれど、まさに「これぞプロ!」の仕事ぶり。
あー、でも木こりのプロではないのだけど。
でもかっこいい!

私は県から出た「イローキン」なるものを使ってエンジンチェンソーを買って、少しだけ責任果たしたかな?という感じ。
2日間で「気になる木」は、すべて切り倒された。
なんでこんなに木がでかくなったかというと、もともと現住宅地になっているところが広大な空き地だったころから峠はここにあったのだけど、盛土されて宅地化された土地に家が建ち、人々が移り住み、前の公道と同じ低さの峠工房は、どこから見ても見下されるよう。
さすがに気になって、庭の樹木…わざわざ植えたものや勝手に生えたものを、あまり短く切らなくなった。
切っていたのは私。
大きいノコギリに紐をつけて肩にかけ、木に登って枝下ろしなどをしていた。
そのうち、自分一人では手が回らなくなり伸び放題。
私も年寄りに。

おととしの台風でこぶしの大木がたおれたのをきっかけになんとかしなきゃとの気持ちが強まり、また野中の一軒家でなくなって、ご近所という関係ができると、いろい、さまざまあって。
うちが1番低いのだから覗かれる。
つまり丸見えなのだけど、もういいや、ということで。

自分とこの敷地内に切った木が散乱しているのまでは近所迷惑にはならないだろう…多分。
ゆっくり片付けていくつもりだ。

だが、迷惑感というものが感じる人はどんなささいなことでも感じるアンテナ備えているようだから、ウチで大丈夫だろうと思っても、そう思わない人は思わない…。
だろうな。

⭐️今日の一冊
峠工房の調理実習御用達の本。
過程が写真で載っているところ、少々とかひとつまみなどの曖昧描写がないところ、何より簡単で美味しいレシピがたくさん載ってるところがおすすめです。