このところ、特に連休明け以降、Rくんの急速な劣化が気になって危機感を抱いていた。
もちろん放課後等デイサービスは、踏み込んだことをする必要もないだろうし、安心安全、かつ楽しく過ごせればいいのだろうが、自主事業峠工房の部分が何か警戒音を発していて気になってしょうがない。

もしかしたら2年生になったということを彼独特のとらえかたをして上級生になったからエライ!自分がやる必要はないのだ!なんていう意識なのかなあ…気分だけ上級生!との推理も働いた。

自分から進んで動こうとする気がない。
態度、特に言葉遣いや会話などが落ち込んでいる。
返事が「うん」「ううん」多用で実際には人の話を聞いてない。
物事に対する興味、関心が極めて薄くなっていて、以前のように色々やりたがるところがなくなった。

少人数、時にはマンツーマン。
だからこそ気が付き、心配になることが増えていた。
今まで家庭で身につけさせてくれていたあたりまえのことも抜け落ちているのが目立つ。

保護者に言ったらきっと気落ちするだろうなと思うような行動もあったりして、伝えていいのか悪いのかと悩み、連絡帳にはオブラートに包んだような表現にしていた。

ところが今日、幸いなことにお母さんとじっくり話をするチャンスがあった。
急に明日休みの連絡があり、そのついでにかなり長い時間話ができた。

家庭でもRくんの変化に気がついていて、また、担任の先生も気づいてお話があったという。

ホッとした。
けっこう「むきだしの」話もできたし、今後家庭との連絡も密にして…この密ならコロナに関係ないもんね…。

一般に、というか、通常、かなり重い障害の場合を除いて「かもしれない」状況を指摘されると、まず勉強の遅れ、ついていけるかどうか気にする人は多い。
一番わかりやすい指標だし、学校の成績の良し悪しが重要だとの認識は日本の教育の伝統的な部分だから。
(勉強が)できる子、できない子で分けられる現実は重いけれど、でもこの国も少しずつ変化してきているし、やはり身近なおとなとして「どのように生きていってもらいたいか」の視点は、遠くを見つける気持ちでしっかり持っていたい。

今日は話ができてよかった。

✨今日の一冊
峠工房にダンスを教えにきてくれてる先生が妹のいる一年生の男の子が常に妹を気にかけていてすごくお兄ちゃんしてると感心してくれました。
「あの子、鬼滅の刃大好きなんです」
「ああ!そういうことか!じゃあ今、日本中で良い子たちが増えているってことなんですね!すごい!」
鬼滅の刃のすごいところは売上でもなく興行成績でもなく、家族や兄弟、友達、仲間を大事にする心を子どもたちに芽生えさせたとこだと思います。