峠工房協力会会費納入のため、理事を引き受けてくれているY Yくんが来てくれた。
私は3月の交流会以降引っかかっていることがあるのでその話をしてからでなければこのお金は受け取れないと言った。

交流会以来、私が周囲に腹を立てて話している「駐車場代事件」?
交流会会場横には3台程度車を停められるスペースがあるが、そこはお客さんのために空けておきたいので、私たちはすぐそばにある「1日停めても300円(当時。今は400円)の有料駐車場を使う事にしていた。
だが彼は
「出さないで済む金は出したくない」
と前夜かけてきた電話で言った。
彼は立場からすれば客ではない。

主催者のひとりであるはずの人間の口からの300円を惜しむ発言であやうく
「それなら来なくていいよ」
というところだったが堪えた。
それからずーっと胸の中でわだかまっていた。

彼とは小学校5年の時からの付き合い。
峠のイベントにはたいてい参加してきたし、個人的に山登りにも連れて行った。
長い間に、私も育てるべく努力をして付き合って、支えてきたつもりでいたから、峠のことを彼はよく理解しているのだろうと思い込んでいた。
勝手な思い込み!!

だご改めてごくごく簡単に、峠の成り立ち、理念等初歩の初歩から、なぜ協力会があるのか、彼がNPO法人の理事を(名ばかりとは言え)引き受けている立場などについて説明。
そして、「出さないで済む金は出したくない」発言。

そのように考えている人から1ヶ月1000円もの大金の会費をいただくわけにはいかない、申し訳ないと話した。

彼は、自分としては何の気無しに言ったことで、そういうふうに思われるなんて思わなかったと繰り返し弁明。
私が話した事は、自分の発した言葉が相手にどう受け止められるか考えてもみないのは、大人とは言えない。
話し方、言い方に難ありと認めて学習すべきだ。
気の合った自分をチヤホヤしてくれる人たちとばかり付き合っていると、心地よさに劣化していくが自分では気づかない。
人付き合いの有り様を意識すべきじゃないのか…など

峠工房とは、今後とも関わっていきたいというので、会費はありがたく受け取った。
言いたいことの千分の一ぐらいは伝わったかな?
伝わって欲しいと思う。

⭐️今日の一冊
皆さんお馴染みのはらぺこあおむし。
作者の方が亡くなられたとニュースになっておりました。
青虫がたくさん食べて蝶になるお話を、可愛らしいイラストで綴ることで、子ども達に想いが伝わります。
サボっているうちに、世間はゴールデンウィークどうする?という時期になってしまった。
全く収まらない感染症。
収まらないどころか拡大しているところもあるのに、どうする?もこうする?もないだろと思う。

私はただひたすら休めるのを楽しみに、このときを待ってきた。

3月21日に「こころの新年会」やって、その次の日曜にダンス教室やって、その翌日にお試しで神奈川区の事業所とオンライン交流やって…そのうちに新学期が始まって、新一年生が3人入所。

疲れがずっしりとたまっていて、ただひたすら「だらしない生活」をしたいのだ。
29日だけ予定を決めている。
この日が最終日になる、書家 高木三甫先生の遺作展。
どうしても行きたい、行かねばならぬ!!と思っている。
万葉集全巻を数年かけて完成させた最初の展覧会に、夫と出向いた。
夫とは展覧会などに出かけた最後の時。
2人並んだところを三甫先生が写真に撮ってくださり、今も大切にしている。
夫と三甫先生は、どういうわけか気が合い、彼が大切にしていた漢書などをプレゼントしたこともあった。

高木三甫先生…長い間ボランティアで峠を手伝ってくれた同級生、高木昌ちゃんの父上である。
そして、指物師 河内素子ちゃんの祖父でもある。

⭐️ 今日の一冊
峠工房役員も務めてくださっている園長の同級生で版画家の高橋幸子先生の本。
先生の好きな逞しく美しく野を飾る雑草達のような先生の人柄は作品にもじんわりと滲んでいます。

入力担当より

峠工房園長のブログ、不定期とは言えとても長く続いていますが、峠工房園長はパソコンはできません…否、やりません。
周りにパソコンができる人間が3人もいるから、日々減りつつある脳みそのリソースを割いて覚えるよりやってもらう方が効率が良いからという理由です。
ただ、その3人も各々都合があり、時々とてつもなく入力が遅れることがあります(ここ最近がそうですな)。
そんなこともあり、人を頼らないとやれないことは続けない方がいいかもなーと園長は考え、忙しいのもあるので2ヶ月ほどサボっておりました。
しかし、ここ最近大慌てで入力担当が更新したところ、多くの人が見てくれていることがわかりました。
入力担当は考えました。
こんなに長く続いて、途絶えがちなのに見てくれてる人がいて、辞めるのは勿体ないのではないか…
なので「これからは手書きで頑張るよ」と言う園長の尻を叩くことにしました。
見てくれている人がいること、亡くなった園長の親友も最後のお手紙でアドバイスをくれて応援してくれたこと、それらを糧にして園長は「もうちょっと頑張ってみるかー」と言ってくれました。
その、仕切り直しの投稿が今回の開放からの抜粋となります。
 
アフィリエイトをつけると
「ちっ!峠工房も金儲け主義に走ったか!」
と思われるのではないか?と心配して、おすすめしたい絵本や漫画、本、ボードゲームやカードゲーム(っていうと腕になんかカッコいいやつつけてるアニメとか頭に浮かぶかもですがカルタとかです。峠工房ですから)があっても直接知っている人に口コミしてた程度なのですが、アフィリエイトで自分でセレクトして載せるのだから、変な広告入るよりも峠工房がやってる事や考えてる事の一端を見せるには良いのかもなーと思い、初めてみることにしました。
そういう意味で付けてるので、この本面白そうだなと思って本屋で買ってくれても嬉しいです。
というわけで、長くなりましたが、この後会報抜粋記事をお楽しみください。
 

春は門出の季節でもあり、峠では4月から新1年生3人を仲間に迎えました。元気でかわいいのですが、私、園長のような年よりは、テンション合わせるだけで、夕方はグッタリ感満杯です。夕食の内容が粗雑になってます。

暖かくなって、開け放した出入口や窓からの冷気には、気を使わなくてもよくなりましたが、あいかわらず、うがい、手洗い、消毒、マスクなど、予防に細心の注意を払いながら、—— 密については、じゃれ合うのでイマイチ ―― ですが、皆元気です。元気すぎるかも?

 ずーっと玄関を開けているので、立ち寄ってくださる散歩のかたも多く、昔話で盛り上がることもあります。また、資料館前の道路が鎌倉古道ということもあって、地名や古道を研究しているグループのかたたちが寄ってくださることもあったりで、新しい動きになり始めているのかな、などと思ってもいます。

 この地球規模の感染症の猛威の中、少しでも日常を維持しようと、あれこれ知恵を絞り、とんでもない企画を考え付いたり、やれることはやってみようか! と動いたり、面白い日常と言えば言えるのですが……?

 障害と振り分けられてる子も、そうじゃない子も、時には保護者を含むおとなの人も、たまには近所の人も、ごちゃまぜの峠工房の強みを、思いっきり発揮しています。

 このような事業形態を維持できることに、心からの感謝です。

 

☆今日の一冊

 

 

 

震災のあった年に直接亡くなった子のお母さんから頂きました。

今年ちょうど10年なのでもう一度皆様に思い返してほしくてご紹介します。

 
 
朝、いつも教室に行って猫の「テマリ」を外へ出す。
入り口の戸をがらり、テマリか左右に注意しつつ外へ飛び出す。
そのあと後ろ足で蹴られてずれている入り口のマットを直すのが一連の流れ。
そして、周囲を見渡して「点検」する。

何を?


去年の9月の朝、マットを治そうとかがんだ目の先に何やらヒモ状のものがマットに沿って置いてあった。
「あいつめ!!またやったな!」
と思いつつ、でもどうやってこの蛇を中へ持ってきたのだ?
入り口の戸はもちろん閉まっているし、階段側の窓も閉まっている。
庭に面した窓は夜も少しあけてあったが…もしかして、蛇は自分で入り込んだのか?
ナゾだ。

以前と違って蛇だって住む場所を失いつつある。
おととし、川に住んでいるかなりでかいやつを、テマリは見つけて戦いをしかけ、スタッフそうくんに止められた。
「オマエー、かわいそうだからいじめるなよ」
と腕に蛇を巻きつけたそうくんに怒られて恨めしそうにしていた。

テマリは本当に二重人格、いや、猫格で、散歩の人たちには愛嬌振りまいてスリスリで「かわいいかわいい」と褒められている。
自分が気に入っている人が通る時間をわかっていて、来る方向を向いて道の真ん中に座っている不思議。
それも1人2人ではないのだから。
みなさんとても感心してくださる。

その裏ではかなり獰猛で野性味を発揮している。
おかげで出没するムカデはいなくなったけれど、どこで何をしているかわかったもんじゃない。
散歩の人たちはその裏の顔を知らないのだ。
もっとも、峠の人間はそれを承知でベタベタかわいがっているのだから困ったものだ!
私は違うよ!!
ただテマリが寝ている側を素通りできないだけなのだから。
怒るときにはガツンとやっております!
この頃休まずに自転車で来るようになったFくんは、必ず学校⇆家庭の連絡帳を見せてくれる。
先生方がていねいに書いてくださっているので、学校での様子がわかって面白い。
昨日の家庭への連絡欄に「あと10分早く家を出るようにしてください」と書かれていた。
ほとんど毎日10分から15分位の遅刻なのだ。
けれども休んではいない。

去年突然に学校が一斉休校になり、登校できない時期が続いた。
その後再開されてから、かなりの頻度で、母から電話があり「おなかが痛くて学校休んだので峠も休みます」ということがあった。

仮病だとは思っていない。
多分、初めて「ちゃんとした」学校生活を経験して、しかも逃げずに彼なりに頑張って精神的にパツンパツンなのだと思っていた。

はっきり言ってしまうと、小学校生活で当然身につけるべきことを何も身につけていない。
もったいない6年間。
峠へ来始めたのが3年生の3学期だったが、特にもったいない四年生1年間を経て、彼は確実に劣化した。
なんとかしたいと奮闘しても土台になるものが何もないし、家でのことには助言や要望は言えても、私たちがどうにかすることじゃない。
というか、どうにもできない。

それに理由は全くわからないが、当時個別支援級に対して強い差別感を感じていた。
じゃあ普通級で頑張ろうという気持ちがあるかといえばほとんど無に近く、授業中寝ていることも多かった。
5年生の担任は峠の方針に理解を示して、文章練習の課題も忙しい中で同じようにやっていただけたが、30人以上いるクラスの中で「やる気なしおくん」ひとりのためにできることは限られてしまう。
六年生になって、ようやく国、算だけ個別級へ交流という形を取ったけれど、安易な内容にどっぷり浸ってしまい、何の効果もなかった。
中学進学を機に個別支援級となって、先生方のおかげでようやく学校生活というものを体験し、彼なりに頑張り始めている。

そんな中での連日の遅刻。
その上犬の散歩にも行かなくなったと母が書いている。

他の子達が帰るのを待って一対一でいろいろ聞いた。
夜、何時に寝るの?
ウーン…わかんない
部屋に時計ないの?
ない、スマホだけ。
遅刻しないようにするには何時に家を出ればいい?
中学生になったばかりの時、峠でそういうこと話あったよね?そういうこと全部忘れてるんじゃ自分でちゃんとやれないじゃん。

まじめに、ほんの少しきびしく話をしたのだがどうリアクションをしたらいいのか全くわからない感じでブスッとしていた。
「峠は怒られるから行かない」っていうかなー?
努力は裏切らないねー。
このところE君に連発してる。
去年、コロナ休校になってから、ずーっと漢字のやり直し授業をしている。
彼、今定時制高校2年生。
もうすぐ3年だ。
高校に入ってからの勉強は、学校でやりなおし授業を手厚くしてくれているので、今やっていることは、かなりきちんと覚えているし、わからなければ、峠に来た時に自主的に教えてもらうということも身についた。
問題なのは、すっぽり抜けている小学校、中学校の9年間。
特に、ことば、漢字。
漢字は小学校の時の先生に「漢字なんて形だけ似てればいいんだ」と言われたと主張して、まったく身についてなかった。
彼は、お調子者で、ペラペラ喋るわりには語彙数が極めて少なく、作り話ができる子ではなかったから、その小学校時の先生の話は本当だと思う。
仮にそう言ったつもりではなかったとしても、彼がそう受け止めるような言い方は個別級の先生としてはちょっとなーと思わざるを得ない。
彼はそう思い込んだのだから。
母が心配して買ってあげたワークブックもやる気なしで「少なくとも2ページはやりなさい」と言われていたからしかたなくやる。
地下鉄の中や駅のベンチで。
峠での遊ぶ時間を確保するため、2ページだけ字とも言えないようなものを書いていた。
そんなだから当然漢字は書けない。
でもマンガを読むのが好きだから、その時出てくる漢字は読める。
何しろ峠の帰りにまわり道してブックオフに寄って「デスノート」を数日かけて全巻立ち読みしてしまったくらいだから。
そんなわけで手がかりはある。
しかし無に近い土台のせいでなかなか上手くいかなかったし時間も足りなかった。
そこへコロナ休校!!
チャンスじゃありませんか!
火、木、金、土とくる日をすべて漢字の習得、ということは国語力の強化にあてた。
そして努力は裏切らないということを体現した。
字を覚える土台ができてきて、「わかってくるとなんだか面白いね」なんてセリフも出た。
繰り返し書き、ダメ出しされるうちにバランスの取れた字にもなってきた。
というわけで嬉しくて褒めまくっているのだ。
昨日の虹は、かなり話題だったようで、B君がスマホに撮った虹の架け橋を見せてくれた。
立ち上がりから没するところまでくっきり。
R君の連絡帳に、虹のこと、そのあとのR君との「不毛な会話」を再現しておいた。
虹のことを話していたにもかかわらず突然
「先生、『もしも』汚い川の水をきれいにしてくれる生き物がいたら『どうする?』」
→いるよ。知ってるもん。R君は知ってるの?
「ウン」
→ヘェー、すごいじゃん。どんな生き物?
「…」
→R君が先に聞いたんだから教えてよ
「…」
→ずるいなァ。先生はちゃんと答えたのに。教えてよ!
「…うま…」
→うま?!!馬がどうやって川の水をきれいにするの?
「馬が二本足でたったらおもしろいね」
→立つよ。見たことあるもん。そんなこと話してないよ。どうやって汚れた川の水をきれいにするのか知りたいよ。教えて!!
しつこくしつこく迫ったら、彼、四つん這いになって、こうやって、と。
おかしくて笑っちゃったので不毛のやりとりはそこでおしまい。
このやりとりを連絡帳に書いたら、ママも「逆質問」を試したようだ。
効き目あったかな?
天気予報で「バクダン低気圧」と盛んに言われていたけど、幸い大したことがなかった。
夕方4時ごろには、またたくまに空が晴れ渡り、まぶしい西日が差し込んできた。
東北の方は、まだこれからだろうに。
なんだか申し訳ないような気がする。

雨が完全に止む前から外で遊んでいたRくんが、いきおいよく戸を開けて、早口で何やら言ったけど聞き取れなくて、ゆっくり言ってと頼んだら「はじめて虹を見た」
生まれて初めてだって。
すごく興奮していた。
「絵の先生に教えてもらったのでわかった」そうだ。
とっても可愛かったのだけど、その後の会話…私とのやりとりが可愛くない。
つまり、ムカつく!
虹ができる理由が全くわからないくせにアーダコーダとでたらめ言いまくって、一人大満足でヘラヘラしている。
「知らないなら知らない、わからないならわからないって言いなよ!」
怖い声で言った。
あまり効き目がなくて、このところ両親を困らせているRのひとりよがり大満足の「もしも〜」「正解はこうでした」のやりとりをしかけてきたのでたっぷり相手になってやった。
超まじめな両親とは違うから、途中で彼は黙ってしまった。
面白かった。
家で親に、たとえば「もしも僕が2人いるとしたらママどうする?」なんて問いかけ、マジメに相手をして、いろいろ言ってあげると「ちがいますー!正解は○○でした」とひとり喜んでいるそうだ。
「もしも」も「正解」も、理解できていないから、マジメな親を困らせることになる。
逆に質問して困らせてやればいいのに…

昨日運転免許更新のために、高齢者講習を受けに行った。

免許の期限は12月13日だったが、コロナのせいにして3ヶ月延長してもらっていた。
期日に間に合わなかったのは本当にコロナのせいで、なかなか時間を都合できなかったし、その前にやる認知症検査を受ける日にちも、12月にようやく捻出したが、時すでに遅く、12月13日までには、到底間に合わない状況。


認知症検査は結構好きだ。
面白いし役に立つ。

高齢者講習はちょっと…気が重い。
前の前の時に、目の異常がわかって、一旦免許失効となり、数ヶ月後、手術して視力回復してから取り戻しに行ったことがひっかかる原因。

それと運転講習もいやだ。
3人1組で交代で運転するのだが、なにしろ狭いところを、いつもと違うデカイ車で、すごく緊張する。
私の前に運転した人がかなり上がってしまったようで、
「ここでバックで車庫入れ」
の指示の時、ガリガリ縁石を擦っているのに気がつかなくて、
「前へ出てやり直して」
の注意も耳に入らない様子で、私の方が固まってしまった。
自信ありそうだったのに。
男性でもあんなに緊張するんだーガチガチ…てな感じ。

別に試験じゃないし、決められたコースを指示される通り運転すればOKなのだから、どうってことないとわかっていても、いやなものはいや!!だ。

気になっていたことが済んで、ホッとしたし、ドッと疲れが押し寄せてきた。
F君が、中学から個別支援級に在籍したが学校の丁寧な指導のおかげで、ひらがなが割合とすらすら読めるようになってきた。

そのことを褒めたついでに
「字が読めるようになるとマンガとかやさしい本が読めるようになって楽しいよ」
と、以前に一冊の本をA君とE君とCちゃんが順番に読んで、D君も読んでみる?と渡したら途中でぐっすり眠ってしまって、起こしても起きなくて、本を取り上げてしまっても目が覚めなかったことがあったよなんて笑い話をした。

F君は興味を持ったようで、
「なんていう本?」
と聞いた。
ホントに珍しい!!
「母さんがどんなに僕を嫌いでも」って、子ども向けに書かれた本。
さらにびっくりするほど珍しく
「ボクもそれ読んでみたい」
だって。
今までの彼だったらまずありえない。

「いいことだと思うよ」
と。
でも子ども向けに読みやすくやさしく書かれているけど、長い内容だし、カナはふってあるけどけっこう難しい字も使われてるし、もう少し「本を読む」ということに慣れてからの方がいいと思うと話し、せっかく読んでみたいと思うようになったのだから、やさしい、短い本を読んで練習して、慣れたら挑戦しよう。

ということで、彼が興味を持ちそうな内容「山古志村のマリと8匹の子犬」という実話の絵物語風のを半分くらいまで私が音読して
「続きは自分で読んでみて」
と貸した。

実をいうと、家に持って帰ったら読まないかもしれない。
それどころかボロボロにして返ってくるのじゃないかと心配していた。
でも読んだというし、本もボロボロになってなかったし
「とってもいい話だった」
と感想まで言った。
成長は本物かな?
だとうれしい。

今までのように一過性でなく、気持ちが持続してくれれば伸びるのだから。
そのためにはどーーーーーしても家での対応も伸びてもらわねばならない。
わが子をかわいいと「かわいがる」のと「成長の後押しをする」のは違うと認識してもらえればなおうれしいのだけど。